Grim Reaper
Grim Reaper【グリム・リーパー】
リーパーはカマや刈り取り機のこと。
グリムはオーディンの別名で、死の前兆の警告の精霊、夜の精霊。
老人や、鎌を持った骸骨として擬人化された存在。
日本語では「死神」と訳されるが、神ではない。
瞳は薄い紫色。
生まれた時からずっと変わらないその色は、視野や視力に問題はなく、見た目以外に不自由はなかった。
日本人としては非常に珍しい色であるが、瞳よりも目立つ髪の色に注目が集まるのが常で、紫眼だけを注視されることはなかった。
だから、人と異なる容姿と自覚はしているが、瞳だけを気に掛けることは左程なかった。
あの時までは…。
時折、征士は黒い汚れを人の顔に見つけるようになった。
ちょうど五歳を過ぎた頃だったと記憶している。
その汚れは目尻から少し下の左頬に三、四センチ程で、弧を描いたような三日月の形に見えた。
汚れにしては形が整っていたし、しかも見つける時は必ず同じ形をしていた。
不思議に思った征士は、それを見つけては“汚れている”とその人に伝えてみたりもした。
だが。
汚れてなどいないと笑われるのが常だった。
誰もが、子どもの戯言だと思っている対応だった。
そんなことが幾度かあり征士は口に出さなくなったが――分かったことが一つだけあった。
つまり、その汚れは自分以外には見えていないということだ。
やがて数年が経ち。
家の奥まった部屋でにこやかに過ごしている祖母に、その汚れのようなものを見つけた。
だが、その色はとても薄く、靄のはっきりしなかた。
彼女の肌があまりに白く、また近くにいたから気づいたのだろう。
一度は口に出すのをためらった征士だったが、身だしなみには人一倍気を使う人だったので、思いきって言葉を出した。
だが案の定「まぁ、征士さんたら。驚かせないで、何もないわ」と言われてしまった。
―― はやり自分以外には見えないのだ
毎日毎日気にしながら、祖母の顔にある靄を見てはいけないもののようにこっそりと盗み見る。
薄い汚れのように灰色をしていた靄は、日に日に濃い影のようになっていく。
半年が過ぎる頃には、本当に自分以外には見えないのかと思うほどに黒くなった。
そして、今度は徐々に薄くなっていくのだった。
―― 消えればいいのに
征士は、祖母に不似合い黒い影などなくなればいいと願った。
すると、その願いが叶うように徐々に黒い三日月は薄くなっていくのだった。
その変化に合わせるように…祖母は食が細くなり、眠っている時間が長くなっていき。
そして不自然なほどに白くなった頬から、その影が完全に消えた時―祖母は息をひきとったのだった。
人の死と影の関係を理解した時、征士は己の無知と無力を思い知らせる。
あれは三日月ではない。死神の鎌先。
鎌が喰い込み、人間の精と運命を吸っていく。
全てを奪いさり、消えてくのだ…。
それ以来、征士は影を持つ人を見ると観察するようになった。
影が濃くなる速さは一定ではなく、その人によって速い遅いがある。
だが濃い影を見た人の元気な姿を再び見ることはほとんど無かった。
極稀に、頬の鎌が真っ黒になる前に薄くなる人がいて、そうなると死にはしないと知った。
知った後は誰であれ、その影が唐突に消えてなくなることを祈らずにはいられなかった。
人に言うこともできないまま、ひとり抱込む。
己ではどうすることも出来ず、見ていることしか出来ない。
こんな能力を欲しいと思ったことなどなかった。
ただ、異様な世界で戦わなければならなかった時にだけ。
征士はこの力に一種の有難みを感じた。
仲間の生死をうかがう目安になるからだ。も
ちろん、ただ生き残ればいいという戦いではなかったし、突然影が現れるかも知れないという不安は消えなかった。
が。それでも、仲間の死が遠くにあるということは、少なからずの僥倖であった。
戦いが終わってからは、そんなことは忘れてしまっていた。
いや、忘れてしまうほどに、日常の生活が忙しくなった。
遅れてしまっていた勉学に励み、高校へ進学。
その後は東京での大学生活と環境が一変した。
更に二十歳になった頃、酷く惹かれあった相手と想いを通じ、共に暮らすようになったのだ。
己のことに一杯一杯で、他者を気にかける余裕はなかった。
また、例え見かけたとしても、かかわりのない他人であれば流せるぐらいには、大人になっていたのだ。
それなのに。
戦いも終わり、他者の影も気にならなくなり。
薄暗い死を意識せず、自分の時間が愛情という優しい光で満たされ始めたこの時に。
この温和で幸せな日常が続くのだと、心を許し始めた時に――薄い靄を左頬に見つけてしまった。
まだ、薄い薄い影。
日に日に濃くなっていくその色が恨めしい。
明るく幸せな未来を黒く塗りつぶそうとする、死の影…。
眠りは浅くなり。
寝ついたはずが真っ暗闇の中で征士は目を覚ます。
すると、時空を超えて独りだけ昏い世界にいるのではないかと錯覚してしまう。
その時を想像すると、心臓が大きく脈打ち、指先が痺れて動けなくなる。
背筋が、肺が、冷たくて、温かいものに触れたくてどうしようもなくなる。
「当麻……」
隣で。何も知らずに眠っている恋人に小さな声で呼びかけ、その体の上に己の体重を乗せていく。
「珍し…」
「ダメか?」と口づけをもって尋ねると「ンな訳ないじゃん」と腰に腕をまわされる。
全ての衣服を取り去り、抱きしめられると『ああ、温かい』と安堵する。
しかし、それは一瞬で。
すぐに『今は』と耳鳴りが響く。
『今』だけなのだ。そう遠くない『いつか』が来れば、命が消え、この関係は無くなってしまう。
―― 厭だ
征士の思考は一度止まる。
これ以上は、考えたくないと。
それなのに、何故人間の脳はこれからのことを想像しようとするのだろう。
ただ、苦しいだけなのに。
脳裏に浮かぶ不安をかき消すように、征士は当麻の欲情を手のうちに納め、唇と舌で一心不乱に愛撫する。「
も、無理」との呟きが頭の上で聞こえると、上に跨り、硬く存在を際立たせるモノを身体の奥に飲み込んでいく。
一度全てを深く味わってから、ゆっくりと腰を艶めかしく動かす。
「当麻…もし、私がいなくなってしまったら、どうする?」
突然。腹の上で動きを止め、征士は言葉を洩らす。
口に出したとて、苦悩が減るわけではない。
それでも、黙ったままでは気が変になりそうなのだ。
「え?追いかけンに決まってんだろ?」
「追いかけられない所に行ってしまったらとしたら…」
「この世も果てまで行くに決まって……縁起でもないこというなよ。もしそんな時が来るとしても、まだずっと先だ。それまでに考えておく。もし俺の方が先にいなくなったら、征士ならどうする?」
「私なら…やはり考えられないな」
「お互い、ゆっくり考えようぜ。まだ、時間はたっぷりある。そんなこと考えてるから、俺のこと欲しくなっちゃったの?」
「…………そういうことだ」
当麻は変なヤツだと笑い、今度は自分が主導を握れるようにと体を起こす。
征士は気づかれないように無理に笑いの形を作り、促されるままにベッドに背を預けた。
笑いごとに出来たのなら、どんなにいいか。
だが、言える訳がないのだ。
救いのないこれからのことをなど、考えたくもない。
影を見てしまう度に、気がおかしくなりそうだ。
ならば、もういっそのこと、おかしくなってしまいたい――。
暗闇で。荒い息と濡れた吐息に混じり、「もっと…」とせがむ声が上がる。
征士から更に求められ、煽られた当麻の雄は、深く敏感な処を執拗に責める。
白い躰はいつもよりも激しい快楽の波に翻弄され、征士は気をやってしまう。
何度も何度も。
正気を手放なせるこのひと時だけが、恐怖が消失する。
熱が去ってしまえば、また征士は独り先のない薄闇に引き戻される。
窓の外には、遅くに上ってきた三日月が、小さな同じ形をした薄墨色の三日月に光を投げかけている。
疲れて眠りについた当麻の規則正しい寝息を聞きながら、征士はその左頬に口づける。
どうか。
どうか、消えて無くなりますように、と。
哀れなほどに、全身全霊の祈りを込めて。
Fin
201801のインテで無配させていただいたお話。
実はお世話になっているmameさまへのお誕生日プレゼントだったっていう…
2018.06.01
kazemiya kaori
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