あきまつり
十月の仙台で気まぐれに吹く風は、涼しいというよりも冷たい。
征士の長い前髪はその冷たい風に散らされ、視界が金糸で遮られてしまう。
すると、少し前を歩いていたはずの当麻の姿が、人混みにまぎれて見えなくなっていた…。
市内でも一番と言われる神社の秋祭り。
毎年にぎわう祭りではあるが、日程が週末と重なった今年は大変な混雑が予想されており、実際その通りになっている。
しかも、ちょうど人出がピークへと向かう土曜の夕方だ。
はるばる大阪からやってきた当麻の希望でなければ、征士自らは来ようと思わなかっただろう。
その来たがっていた当人とはぐれてしまった。
普段であればすぐに見つけられるあの背の高い男が、人波と参道ぎりぎりまで連なる夜店ののぼりや垂れ幕のせいで何処にいるのか全く見つけられない。
一緒に出掛けることはあったが、こんなことは初めてだった。
征士は仕方なく人の流れに合わせて歩みを進める。
これから参拝をするのだから、このままいけば何処かで会えるだろうと考えたからだ。
はぐれたことに気づいた当麻が、参道のどこかで自分を待っているはず。
人探しの目だけを動かしていると、頭の中に仕舞ってあった疑問の風呂敷がふと広がってくる。
――当麻が急にやってきたのは何故なのであろう?
この神社の立派な本殿も出店の数もにぎわいも、征士にとっては自慢できるものだが、当麻の地元である大阪にも同規模の(悔しいが)もしくは此処以上の祭りはあるだろう。
六百キロの距離をわざわざやって来るほどに、ここの秋祭りが有名とは思えなかった。
当麻が言っていた“自身の誕生日の記念”だとするのならば、何度も来ている仙台を選ばなくてもいいだろうに。
そんなことを思いながら、征士はなるべく左端によるように歩く。
これから参拝する人は左側通行で、終えた人が反対側を歩いて戻ってくるのだ。
社殿から帰ってくる人は夜店を冷やかしながら歩くので、流れは一層ゆっくりだ。
しかも、参道には行き来する人の波を分けるための柵がないので、征士の歩く側も
影響が出る。そのため、歩みは遅々として進まない。
人を探している征士は、だんだんとのろりとした流れに乗れなくなり、いらりとしてしまう。
いらだったままで目線だけを流し、夜店の途切れる場所を確認していく。
夜店は数店舗ごとに店の前と後ろを行き来できる隙間がある。
当麻が待っているとしたら、その夜店が途切れたところだろうと思われるからだ。
見つけられないまま道なりに行くと社殿向かう途中で、道が大きく右に曲がりはじめる。
そこには目印のように生えている大きな松の木がある。
昔からの征士のお気に入りの松で、家族で参拝する時に必ず挨拶している老木だ。
人の多さに今日はゆっくり挨拶ができないと、視線だけで目礼をしようとすると、まさにその木に寄りかかる様にして当麻が立っていた。
人をかき分けるようにして、なんとか近寄り声をかける。
「はぐれてしまったな。会えてよかった」
「すごい人だよな。目立つお前がなかなか見つけられなかった」
「私もだ。こんなに混んでいるのは久しぶりだ」
さあ行こうと、征士が参道に顔を向け一歩踏み出す。
すると。その勢いを削がないさりげなさで、征士の左手に何かが触れた。
「お前とはぐれたら、せっかく来た意味がないだろう」
横に並び歩調を合せながら、当麻が軽く触れているだけだった手を、当然のようにしっかりと握って来る。
一瞬、びくりとした己の反応を当麻は分からなかったのか、無視しているのか…。
そして、ずっと待っていた当麻の手は自分の体温よりも冷たいはずのに、熱いと思ってしまうのは何故なのだろう。
「参拝が終わったら何か食べようぜ?やっぱり仙台名物牛タンかな?」
「…そうだな」
答えが上の空になるのは、手に意識が集中してしまっているからだ。
風にのって途切れ途切れに聞こえてくる雅楽よりも、己の心音の方がよく聞こえる。
仲のよい友だちなら―珍しいかもしれないが―手を繋ぐことぐらいあるだろう。
ただ、それだけのことなのに。
ただ、そう思えばいいことなのに。
動揺してしまうのは、自分にとって当麻が『単に仲のよい友だち』と思えていないからだ…。
何気ない会話を振ってくる当麻は、征士の手を握ったまま、人波を読みながら半歩先を歩いていく。
顔を見られないのが有難い―今の自分の顔を見られたくない。
本当は分かっている。
当麻が、時々仙台に来る理由を。
一番最初に口にした宮城や仙台の歴史に興味があるというのは嘘ではないだろう。
けれど、一度や二度ではない。
高校生の時から大学生になった今日まで、足掛け四年にわたり何度も訪問を受ければ、まさかという思いは確信に変わる。
いくら鈍いと言われていても、だ。
そして、当麻を空港に出迎えに行く自分が、とても浮き浮きしてしまっていることも――誰にも知られてなどいないが自覚はしているのだ。
でも、征士はそれ以上のことを深く掘り下げて考えないようにしていた。
怖かった。
ただ、仲間として親友として楽しい時間を過ごせるだけでいいと思っていた。
それなのに、征士が意識して引いた線をこの男は越えてこようとしている…のではないだろうか。
今。
手と手を繋ぐというこの行為が、ひどく恐ろしいことに思える。
己の想いを真正面から見据えなければならなくなるという怖さ。
そして、その自分の本心を当麻に見透かされたようで恥ずかしくもあった。
手を離してしまいたい――。
だが離したら、当麻はどう受け取るのだろうか。
もしかしたら、迷子にならないためにこうしているだけで、深い意味など無いのかもしれない。
逆に、意味があったとするのなら、当麻の想いを無下にすることにも躊躇してしまうのだ。
己の想う相手に、嫌な思いなどさせたくない。
頭では冷静に考えているのに、自分の中で跳ねる心臓とそれに同調する不安と羞恥は、喉にせり上がって来て呼吸が乱れないようにするだけで精一杯だ。
どちらも、何も選べないままに、社殿前の大鳥居が近づいて来る。
松の植えられていた場所からは二十メートもない道のりなのに、長い時間葛藤しているように感じる。
大鳥居を前にして神前を意識すると、ふと罪悪感が芽生えてしまう。
手をつないだまま参拝などできないと感じてしまう。
征士は鳥居で一礼をする時に、不自然にならないように己の手を当麻から取り返した。
ここまで来ればはぐれる心配はないと言い訳もできる。
「当麻知っているか?神様に願い事をしてはいけないのだそうだ」
話かけて何でもなかったことにして流してしまおうと征士は口を開く。
あと数メートルで本殿の正面となる場所で、する話なのかどうかさえも分からない。
「え?マジ?でも、よくなんとか祈願とかやってるじゃん」
「それは人間の勝手だそうだ」
神に願えば叶うなど…ならば当麻が手を握って来ることなど無かったはずだ。
このままの関係で、友だちのままでいたいと、征士は望んでいるのだから。
「じゃ、どうするんだよ」
「誓うのだ。自分はこれこれこういうことを頑張ります、と。」
「へー。自力本願ってことか」
「神頼みよりも真っ当だろう。努力が神様の眼に叶えば、応援してくれるかもしれない」
「じゃぁ、俺も自分で頑張るよ」
財布から賽銭を取り出し準備をする征士は、そう言った時、必要以上に真剣な顔をした当麻を知ることはなかった。
参拝が終わり。
社殿から離れようとする人の流れと一緒になって歩きながら、征士は二度とはぐれないよう当麻との距離を少しだけ詰めた。そうすることで、先程のように手を繋ぐ必要がなくなると思ったからだ。
過剰な気配りかもしれないが…。『当麻と手を繋ぐ』ということがこんなにも自分に動揺をもたらすとは思ってもいなかった。
だから用心に越したことはない。
しかもまずいことには、もし手を繋いでしまえば――触れている時間が続けば続くほど、離したくないと望んでしまう小さな囁きが聞こえてくるのだ。
単純に嬉しいと思う気持ちを、無視するのが困難になりそうだった。
それは、困る。
のろのろとした流れに乗って大鳥居から出ると、再び夜店がにぎわう参道を通ることになる。
本殿前では幾分整っていた人列が、ここからは煩雑に変わっていく。
夜店をひやかす者、手にした食べ物を口にするため歩くペースが極端に落ちる者、立ち止まる子供の手を引こうとする親、目当ての店へと歩を速める者。
隣に居るだろう当麻を見失わないよう視線をおくると、不自然に前を直視している当麻の横顔が目に入った。
何が前にあるのだろうと不思議に思い声をかけようとした時。
左手の指先に自分とは別の体温を持つ何かが触れた。
――私の手を探している…?
征士はその動きに気付かぬふりをして、歩調に合わせて軽く手を振り、触れないように自分の手の位置をずらした。
すると、当麻の指が、今度ははっきりと追いかけてくる。
――まずい
このままでは、また手を繋ぐことになる。
繋いでしまえば、また離すタイミングで悩まなくてはならなくなる。
ならば、そうなる前にかわしてしまおう。
征士は、するりと左手の甲を背中側に逃がした。
ちょうど休めの姿勢の時に手を置く、腰のあたり。
互いの手が偶然(を装って)触れ合うことはない位置。
つまり、当麻のちょっとした動きでは追えない場所に避難させた。
たくさんの人の中で誰にも見えていないであろう、地上八十センチでの攻防。
征士は勝利をおさめるはずだった。
しかし、征士の思うようにはならなかった。
当麻の指は逃げた征士の手を執拗に追ってかけて、今度ははっきりと意志を伝えるように掴まれた。
長く伸ばされた腕に、半ば腰を抱かれるようになってしまう。
距離が近すぎるのと人混みで逃げることはできない。
そのまま身体ごとぐいっと引っ張れ、人混みを横切り、夜店と夜店の間をすり抜ける。
ひと気のない鎮守の森へと向かっているようだ。
予想もしていなかった強さで握られたまま、早足で歩かれるとついて行くのは容易ではない。
しかも、すっかり日が暮れて、足元は真っ暗になっている。
なんとかついて行くのが精いっぱいだ。
夜店の明かりが小さくなり、背の高い木々しかない空間まで歩くとやっと当麻の足が止まった。
暗い中で振りかえり向かい合うようにして立つ当麻を、征士は困惑を作り睨みつける。
「どうしたというのだ」
「どうしたもこうしたも…お前さぁ」
「なんだ」
困惑の貌を作ったのは、知らないふりをしたいからだ。
きつく手を掴まれた瞬間から、頭の中では警鐘が鳴っている。
この展開は征士の望んでいるのもではないのだ。
それなのに、手を振り払って逃げることもできず、動けないでいる。
「手を繋ぐのが嫌なのか?そうやってずっと逃げんの?」
「…………」
問われたくないことを直球で訊かれ、征士は目をそらし俯いてしまう。
まさかはっきり問われるとは思っていなかったし、その答えを用意していなかったからだ。
顔をあげられない征士は、互いの身体の間にある握られたままの手を見つめるしかない。
その姿を見た当麻は追い打ちをかける。
「振り解こうとしないのはなんでなんだ?自分で分かってんだろ?俺がお前をどう想っているか。お前が俺をどう想っているか」
暗い中で聴く声は、何故その人の真意を響かせるのだろう。
征士は、当麻の堪えきれずにあふれた想いを痛いほどに感じとっていた。
当麻に言われるまでもなく、分かっていたことだ。
ただ、自分から告げることも行動を起こすことも出来ないでいた。
不慣れで臆病だったのだ。
「もう離さない。これからはずっとこうして、一緒に歩いて行くんだ」
宣言した言葉を思い知らせるように、更に痛いほど強く握られる。
すると、その熱い手のひらを通して何かが伝播してくる。
目には見えないけれど、伝わる真摯な心。
建前もプライドも保身も、どうでもよくなるような、想い。
届けられた気持ちは、征士の奥深い場所に入り込み広がり。
もういいのだと、当麻を想うことを恐れなくてもいいのだと。
自分の気持ちを曖昧にしている必要は、もうなくなったと思えた。
だから、覚悟を決められる。
征士は意を決して、伏せていた顔をあげる。
そして、
「人前で、ずっとは、困る…」
認めるしかない状況のなかで、せめてもの抵抗だった。
男同士で『ずっと手をつないで歩く』のは恥ずかしすぎる、と。
慌てて言い募る征士に、当麻は吹き出すのを堪えて確信を問う。
「いや、例えだって。別に俺だって人に見せたいわけじゃないから。けど人前じゃないのならばいいってことは、いいってことだ。つまり、仲間や親友だけじゃない関係になってもいいってことだよな」
念を押され、征士が赤くなりながらゆっくり頷く。
すると、当麻の手から痛いほどに加えられていたが抜けてたのだった。
やがて、戸惑ったような笑みを浮かばせながら、征士の手が優しく握り返してきた。
初めて見せる表情も初めて握り返してくれたのも、これからもっとたくさんの初めてを予感させる…。
「ここの神さん、いいな。自分で頑張ります、って誓ったら、さっそく応援してくれた」
当麻は嬉しさを隠そうともせず笑いながら、これからのことを胸の内で誓うのだった。
(了)
201701のインテで無配させていただいた『手をつなぎつむぎながら歩むj人生(みち)』より
えっちなしで仲良しの二人というりくをいただき書かせてもらったものです^^
ずっと手をつないでいて欲しいなぁーww
しかも当麻誕のお話だったのに征士誕にアップしたというアバウトさで本当にすみません(汗
2018.06.01
kazemiya kaori
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